火星深青

日常の想いとか趣味の模型とか

気付き爆発。もっと聞きたい。木村治美『エッセイを書きたいあなたに』を読む

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  つい先日の休みのこと、あてもなく自転車で近所を走り回っていた時に、偶然出会った図書館があったので、機会があったらぜひ利用してみたいと思っていました。今日はその施設を利用しようと思い、初めて入館し、図書カードを作り、太っ腹なことに2週間は借りられるとのことだったので、4冊ほど選んで借りてみたのです。

  とりあえず向かった文庫本の本棚は、五十音順で作者別に並べられていて、文学に明るくなかった自分は、なんとなく背表紙の題名を眺めていました。それで何となく気になって手に取った本が、木村直美『エッセイを書きたいあなたに』でした。

 エッセイを書きたいあなたに。エッセイを書きたい俺へ。俺は果たしてエッセイを書きたかったのでしょうか。まあいいでしょう。しかしなんといってもこの題材です。多少なり、いい文章を書いてみたいなと思う俺の欲求に応えてくれそうな期待感があります。

 この本は、よくある文章の書き方を扱う技術書とは、書き方が全く違っています。まず、文体に柔らかな品格が感じられるといいますか、ずっと聞いていたくなるようなきれいな声が聞こえてくるような、そんな書き方なんです。上手く言い表せないけれど、まず第一印象で「もっと読み進めたい!」と思わせてくれる本に出合えたのは喜ばしいことです。それから、文章の書き方を教えてくれる立場でありながら、押しつけがましくないというところも気に入りました。

 それで、エッセイなんですが、恥ずかしい話ですが、俺はそもそもこの言葉の意味を理解していなかったのであります。本書で木村治美は、エッセイとは何か、自分の考えにも触れています。

私は essay という動詞にある「試みる、吟味する」の意味にこだわりたいのです。つまり私の考えること、書くこと、喋ることは、私自身の一つの試みであり、吟味なのです。けっして、それが唯一無二の真理や断定的評価・結論だと思っているのではないということです。

  そうか、エッセイは essay から来ていたのね。ふーん元々はこういう意味だったのか。

 さらにエッセイの元祖である作家モンテーニュの描いた一部を引用した後にこう書かれていました。

「描く対象は私自身」であり、「私自身が私の書物の題材」となると、そのエッセイはともすると独断と偏見になります。いや、独断と偏見でないはずがない。独断と偏見でいいのですが、それが読者に受け入れるためには、ある条件がみたされていなければなりません。それは自分の独断と偏見であることを自分自身が十分に意識していることです。広い視野に立っての独断と偏見です。

 なるほど、独断と偏見。あると思います。

色々な見方、さまざまな考え方があるのを承知して、なおかつある意見にこだわるのが、エッセイストの偏見と独断と呼ばれるのにふさわしいでしょう。

 自分自身についての日記のような文章を綴るのであれば、なおさらその傾向が強くなってしまうのではないかと、少し不安に感じるところはあったのですが、しかしここでは独断と偏見でないはずがない、と言い切ってくれています。自分の意見こそが正しいという思考に囚われないように気をつけて書けばいいのですね。

 あんまりにも面白い本だったので、感心しっぱなしで、大事だと思ったことをノートに書き留めながら読み進めていました。借りた本ですが、欲しいので後々買うつもりです。

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 そうそう。ところで、俺はここしばらく、うまい具合に模型関係の記事をかけていませんね。更新頻度が少ないと、読者の皆様の不安だけでなく、自分の頭にも、常に模型を作らなければいけないという、頭に重くのしかかってくるものが感じられます。でも俺は、元より月一つくらいのペースで完成させていくくらいの付き合い方だったので、特にこれと言って模型を嫌いになったわけではないのです。

 代わりに、今回のような図書館を楽しんだり、そのあと家に帰ってから読書を楽しんだりと、時間の使い方にバリエーションが生まれたことによって、個人としては気持ちに余裕を感じています。

 読書に興味を持ったのも、この模型ブログを初めてから、文章を作るという作業に興味を持ち始めたのがキッカケですので、回りまわってブログの方も充実させることができたらなと、思っています。これを生涯学習というのですかね。このように模型からカメラや文章など、多分野に渉って学ぶ姿勢ができるところに、趣味に夢中になっていく面白さがあるのではないかと、感じています。

 

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